降っていた雨もいつの間にか小降りになっている、皺の寄った箱から煙草を取り出し、銜えて湿気に顔を顰めた。気を取り直して、目的地に目を向ける。魔術師の館とは思えない簡素なアパートメント、そこがジョナサンの工房だ。壁の外側をぐるりと一度見て回った、特に反応は無い。眉根を寄せて煙を吐いた。静か過ぎる。火の着いた煙草を放り込み、反応を探る。しばらくの間そのまま物陰に身を潜めてみたが、反応は皆無だ。もう一本、そう思って煙草を銜えた。幾度か同じ事を繰り返したが反応は無い。どうやら、屋敷を取り巻いていた兵隊は、もう碌に残っては居ない様子だ。ここ数日の虐殺に怯えて、あるいは、主を見限って。三々五々と離れていったのだろう。残った者達を忠義ものと見るべきか、愚か者と見るべきか。つかの間、切嗣は思案した。無論答えは出なかった。

 吐き出した煙を潜る様に脚を進めた。もう、敵には碌な戦力が無い。残っているのは、この要塞じみた気配を放つアパートメントのみだ。だが、それすらも無力化する手筈は整っている。自分一人ではどうにもならないだろうが、幸いなことに今回は協力者に恵まれた。屋敷の警報、トラップ、その他もろもろの侵入者に対する備え。それが魔術的なものであるのならば、時間さえあれば幾らでも書き換えられる。気取られないように徐々に、血縁者の体液を使って結界に自身の存在を織り込んでいく。結果、侵入者ではなく、身内の者として認識させるように織り直す。この作業が一番時間を食った。なにせ、気取られるわけにはいかない。そのくせ時間はそれほど無い。最大の敵は、焦りと疲労だった。連日の銃撃戦は精神力を否応なしに奪っていった、作業中に、居眠りの危機を感じさせるほどに。

 吐き捨てた煙草を、靴底で踏みけした。そろそろ、結界の異常にジョナサンも気が付いているだろう。そう、切嗣は踏んでいた。魔術師だけで構成されたわけではない、半分の構成員は武闘派の強面である。マフィアの様な一家だ、警報装置は魔術的なものだけでは無い。監視カメラまでは無効化していない。今頃、当番が大慌てでジョナサンの所に行っているだろう。車に乗り込み、エンジンを吹かした。シートベルトは締めず、思いっきりアクセルを踏み込む。みるみる古びた鉄柵が近付いてくる。突っ込んだ、激しい音を立てて鉄柵が視界の外に転がってゆく、内側に誰も居ないのは、監視しているイレーネからの報告でわかっている。そのまま、臆する事無くロータリーに進んだ。車で突っ込むには、少々高い段差がある。4WDならともかく、普通車ではきつい。飛び降りた。四階建てのアパートメントが、目の前に聳えている。三段ほどある階段を、咄嗟の事態に備えて一段ずつ駆け上る。窓からの射線を警戒しながら、小走りに玄関前に駆け込んだ。目に見える玄関は堅くとじられ――――

「―――と!?」

 蝶番が痛みそうな音を立てて、扉が内側から開かれた。同時に、雨の様な弾幕がコートの裾を引きちぎる、二発、肩を掠めた。予想外の戦力が敵方に残っていた。一つ舌打ちをした。傷口に目を向ける、浅いが、出血は割と多い。動けなくなる可能性を考慮して、コートを脱ぎ捨てた。袖を引きちぎって傷口の上から固く絞る。うめき声を我慢して噛み締めた歯が、煙草のフィルターを食いちぎった。小さな音と火花を散らして、つま先で吸殻がはじけた。右手で腰の後ろを探る、目当てのものは四つ持ってきた。口に銜えてピンを抜く、フロアに放り込んだ。洞窟様式の回廊が、理解するまでの間静寂に凍る。残り二秒、もう一つを半身を出して大きく投げた。男達の後ろに飛び込んでいったそれを視界の端に確認して、銃のスライドを引く。初弾が薬室に送り込まれた、硬質な音。それを確かめると、マガジンを引き抜きもう一発を篭めた。マガジンを銃身に叩きこむ音は、爆音に掻き消された。思いのほか威力が強い。これはベアリングを入れる必要はなかったかと思いながら、もう二秒待つ。程なくして、もう火一つの手榴弾も炸裂した。

 半分だけ顔を覗かせ、状況を確認する。視界に映った情報を整理するのは、頭を引っ込めた後だ。落ちていた銃器は四丁、倒れていた男の数も同じ。それをもう一度確認すると駆け出した。柱の影から玄関までは五メートルもない。ベレッタをしっかりと両手でホールドしながら、ホールに走りこんだ。同時に、上から銃弾がばら撒かれる。反撃するだけの余裕は無い、出来ることといえば、死角へ、死角へと走りながら随所にプラスチック爆薬を仕掛けていくことのみ。

「――――ずっ!?」

 右足を、銃弾が掠めた。つんのめって、前に転がってしまう。それを追う様に、銃火が兆弾の火花を咲かせる。掠める数が増えてきた。くそったれた事に、徐々に狙いが正確になってきている。地面との角度も緩く。つまるところは階段を下りてきているようだ。くそったれ。もう一度、切嗣は腹の中で呟いた。こんな所で転がっているわけにはいかない。だが、立ち上がるだけの余裕も無い。何か方法は無いか、目の前の状況に利用できる点は―――

「―――あった」

 集中もクソもない状況で、右腕だけに強化をかける。持続時間は僅かに一瞬、だが、その時間だけで事足りる。柱を掴んで、己の身を水平方向に引き上げた。パチンコで弾を飛ばすように、体が水平に床面を滑っていく。そう―――今来た道を戻るように。

「――――」

 もう一度、銃を握りなおした。狙いは遠く、連鎖が上手くいけば御の字だ。祈るように、一度だけ瞬きをする。見開いた其処に映る―――爆薬の信管。引き金を引いた気配は無かった、自分にも認識できないほどの集中。それは、ほとんど無意識の動作だったのだろう。限界まで引き伸ばされた時間感覚が、飛んで行く弾丸を、信管にめり込んだ瞬間の波紋振動を、信管が破裂する瞬間を、爆薬が急激に燃焼する様を捉えた。視界を焼かれないように、目を瞑る。その動きすら、今はスローモーションの様に感じられる。爆風の第一波が体を捉えた。好機とばかりに、流れに乗って後転し、そのまま後ろへと跳ぶ。火炎を含んだ第二波が、木の葉の様に切嗣を吹き飛ばした―――
































                      「A good & bad days 9.」
                        Plecented by dora



































 /9

「がっ―――はっ!!」

 強打した背中が酷く痛む、どこか―――肋骨でも痛めたのだろうか。自暴自棄になっていると、自分でも思った。せっかくここまで丁寧に仕込んできたのに最後だけは酷く雑だ。否、雑といえば最初から雑だった。何時もの様に犠牲者について考えなければ速く終ったのに、それこそ、ガス管とC4の組み合わせだけでジョナサンはあの世に葬れた。爆破範囲を限定して、街中でやっても良かった。旅客機すら落としたことがあるというのに、どこかで人間らしさを求めて―――しくじりかけている。まったく、何て様だ。標的に警戒心を抱かれる前に殺してしまえば、こんな苦労はなかったのに―――

 今更人間らしさなど求めてどうするのか。そんな考えが脳裏をよぎる。今はそんな事を考えている時間では無いと頭を切り替えた。悪い事に、アパートメントの崩壊する音が聞こえてこない。どうやら内部を焼き尽くしはした物の、炎は扉の魔術防壁までは突破できなかった様子だ。歯噛みをしながら立ち上がった。窓からの銃火はない、もう一度くすぶる玄関に突入し、今度は階段を駆け上った。目標は今、書斎に居るはずだ。ドアを引きあけ、内側に手榴弾を放り込む。鈍い爆発音と共に、老人の悲鳴らしき物が聞こえてきた。蝶番がいかれたドアを蹴り開け、内部に侵入する。ほぼ中央に、老人が倒れているのが見えた。ジョナサンだろうか―――?

「―――おかしい」

 おかしい、簡単すぎる。こちらの突入に対応するだけの時間は十分居あったはずだ。だと言うのに、老人は机に向かったままの姿勢で死んでいる。ぞっと、首筋に怖気が走った。感じたのは。強力な自壊の構成、足の裏に、不気味な振動が伝わってくる。―――くそったれめ。どうやら敵は工房ごとこちらを圧殺するつもりらしい―――左右を見回す余裕も無い、正面の窓から身を躍らせる!

「Es ist gros,Es ist klein…………!!」

 細かく割れたガラスが肌に痛い。だが、それよりもアパートメントが崩壊する轟音が耳に痛かった。自身の重量を制御し、地面に降り立つ。直後、弾かれるように横に飛んだ。同時に、爆風に吹き飛ばされる。耳に手を当てる暇もなかった。空間が破裂するような熱量が、突如出現したのだ。鼓膜がやられたのか。目が眩むような激痛が頭部に走る。元居た場所に目をやって、再び、ぞっとした。足元に飛んできた鉄筋が溶けている。少なく見積もっても、瞬間的な焦点温度は千六百度を下るまい。アパートメントに使う二インチ径の鉄筋が、芯まで溶けているのだ。

 面倒な事になった。唇を噛み締めながら、切嗣は未だ見えない敵を睨み付けた。相手は透視能力持ちの上、それを利用する研究者だ。止まっていたら殺られてしまう。とにかく、今出来ることは脚を使って敵を探すことだろう。そう判断し、地面を蹴った。空気が後ろに流れていく、直感的に横に跳んだ。同時に幾つもの氷柱が大地に突き刺さる。危なかった、再びコートの裾が短くなったのを気にしながらジョナサンを探す。瓦礫の向こう側に居るのは間違いないだろう、だが、一体何処に居るのか―――

「この―――」

 三回目。おぼろげながら相手の位置がつかめてきた。恐らくは―――北側のあの壁の向こう側。どうやら、裏をかかれたのは此方だったらしい。苦い笑いが唇に乗った。この距離では―――そもそも障害物を挟んでは、銃器など意味をなさない。それだけの事で、敵が強敵に変わる。他の執行者は随分と面倒をしている。そう、切嗣は思った。二度とこんな手段はとるまい。とも。

「―――」

 不意に、ナタリーの顔が思い浮かんだ。正気か、そう、己を疑った。どうやら思いのほか彼女の事を気にかけていたらしい。道具として使うはずなのに、その女が住む町を荒らすまいと努力した覚えがある。兵器として仕込んでいるのに、大切にしたい、そう思ったことすらある。吐き気がした。そんな、甘さが自分を追い込んでいる。

 ―――今一度機械になれ、衛宮切嗣。甘さを捨てなければ、本当に救いたい者をこそ救えない。

 そう、自分に言い聞かせた。ともかく、こんな足場の悪い場所でクレアボイアンス持ちの魔術師とやりあうのは馬鹿げている。壁に向かって走った、目標は、いくつか設置されている電源ケーブルの集積機だ。右足を掛け、手で体を引き上げて壁を飛び越えた。僅かな間だけ、人間では普段見ることの出来ない高さに体が届く。

 ―――見つけた。

 北の壁の向こう。確かに、此方を睨みつけている老人が居た。ターゲットの輪郭情報と合致、ジョナサン・ローデスで間違いない。着地と同時に、自分の真上の空間が爆ぜた。衝撃に、体が地面に押し付けられる。大した威力だ。耐攻性魔術のアミュレットを幾つも纏ってきているというのにこの威力。自称するだけの事はあって一流だろう。だが―――封印指定と言うほどの者ではない。おそらくは、協会に不利益な情報を握っているのであろう。だったら話は早い。むしろ、南雲に任せておいても良かったかもしれない。走った。然程の距離は離れていない、このまま銃弾を心臓に打ち込めばそれで終る。空間のゆがみが、目の前に現れた。透視能力越しだと、僅かにタイムラグがあるらしい。其処が隙だ、そう、切嗣は考えていた。

「―――ッ!?」

 前面の魔術が発動する直前、横合いから爆炎に巻き込まれた。何だ、いったい。トラップだろうか。体に燃え移った火を、転がりながら溝に飛び込んで消す。腐った水が臭ったが、背に腹は代えられない。皮膚に中度の火傷を負った。早く処置をしないと感染症を起こしそうだ。混乱する頭を整理、視界に映った情報に何かヒントは―――なるほど。

 簡単な話だ。発動までのタイムラグに慣らされた自分が、直接狙撃されただけのこと。目標がこちらに向かって歩いてきている。特に考えずに、銃を向けた。引き絞るように引き金を引く。軽い反動が、二回。確実に一人の人間を殺せるだけの弾丸の量だ。だが、人間では知覚することすら出来ないそれも、今のジョナサンには届かなかった。超熱量の大気の渦が、目標に到達する前に弾丸を消滅させる。鉛を含んだ熱気が、切嗣の眼球に届いてくる。知らず、歯の根が震えていた。左右に避けるだけの余裕は無い。だと言うのに、向けられたそれは確実に此方の命を奪うに足る威力―――!

 〜To be continued.〜







戻る